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朝ご飯を食べた後、まず西太后の避暑地として作られた、頤和園という公園へ行く。 |
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公園の中には大きな人造の湖がある。気温が氷点下のため、水面は氷に覆われていた。また、湖を掘ったときにでてきた土で小山が作られており、そこに建っている建物をバックにY城氏の写真を撮った。 |
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長く続く回廊を通り、小山の方へ向かう。三国志や西遊記などの物語が柱に描かれている。 |
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小山の上からの眺め。いい眺めだ。 |
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頤和園のあとにし、漢方薬屋に寄った後、昼食を食べる。そこで、「あんまん」を食べる村T氏(左)とY城氏(右)。あんまんは北京語で「タンパオ」といい、大学の中国語の授業で一発朗が初めて覚えた単語である。 |
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昼食後、お待ちかねの八達嶺の万里の長城へ。やっぱり、ずっと先まで続いている。昔の中国人は北方騎馬民族が恐くてしょーがなかったことがうかがえる。でも、モンゴル(元)や満州族(清)に占領されている事実を考えると、本当に効果はあったのかな? |
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長城をしばらく登ったところで撮った写真。ここで、今回の旅の同行者の皆さんを紹介します。写真右から、おしょうさん、Y城氏、K村さん、村T氏。ところで、写真ではもちろん分からないが、このときとても寒く、10秒と素手でデジカメを持っていられない状況だった。 |
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八達嶺では入り口から右側は傾斜の緩い「女坂」で左側は勾配のきつい「男坂」と言われる。はじめ我々は「女坂」を上り、その後、時間に余裕があったので「男坂」にも登った。この写真は「男坂」から「女坂」を撮ったもの。 |
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万里の長城の後は、北京ダックを食べた。とても美味しかった。 |
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北京ダックの後は、雑伎団の公演を見に行った。神業ばかりである。近くに座っていた日本人観光客の人は、「サルティンバンコ」よりすごいと言っていた。 |
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雑伎その2。ラケット7本同時投げ。 |
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雑伎その3。手・足・口でグラス持ち。 |
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雑伎その4。5つの筒の上でリボン振り。 |
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雑伎その5。高速バク中輪くぐりぬけ。芸にはうるさい一発朗であるが、雑伎団には参りました。すごすぎるっす。 |
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この日はまず、天安門広場へ。世界で最も広い広場とのこと。写真中央にあるのが、天安門。ちなみに雪が積もっておりました。 |
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こちらは人民大会堂。日本の国会議事堂にあたる建物。 |
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天安門をくぐり抜けてしばらく歩いた後、故宮の入り口である「午門」に到着。中央の扉が中国人、右の扉が外国人の入り口となっている。 |
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午門を抜けてさらにもう一つの門をくぐると、皇帝の玉座がある「大和殿」に到着。映画「ラストエンペラー」で、たくさんの人が皇帝に土下座していたのはここ。 |
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皇帝の玉座。座ってみたいっす。 |
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故宮内にある宝物の博物館へ行った。重要な宝はほとんど、台湾に持って行かれたとのこと。残っているのは、重いものばかり。 |
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昼食はめん料理。めん作りの実演をしてくれた。お上手。 |
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午後は胡同(フートン)というところを輪タクで回る。北京でも古い町並みが残っているところである。 |
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古い町並み。ただのボロ屋に見えるが、なにげに数百年の歴史があるらしい。 |
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胡同の民家を訪問すると、犬がいた。かわいいっす。 |
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世界遺産である天壇公園へ行く。ここは、明・清の皇帝が五穀豊穣を祈った場所である。 |
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皇帝が天に祈った場所の中心ではしゃぐ一発朗。ここは特殊な作りになっており、声を出すとそれが何倍にもなって聞こえる。 |
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歴代皇帝の位牌を祀るところ。ここの壁は面白く、壁にささやくと反対側の人に声が伝わる回音壁となっている。 |
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天壇公園でもっとも大きな建物である、祈年殿。梁と釘を1本も使っていないとのこと。ところで、昔の中国では天は丸いと信じられていたとのことで、そのため天壇公園の建物はいずれも円形であるそうな。 |
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天壇公園を去った後、土産物屋に寄り、激辛の四川料理を食べ、バスガイドさんに頼んで夜の街に繰り出した。しばらく歩くと繁華街に着き、デパートに入ってみた。 |
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やはり、観光客用の土産物屋と比べると、庶民向けのデパートの方がずっと安い。デパートの中にもでっかく「福」とある。なかなか華やかでよろしい。この後、タクシーでホテルに戻り、寝る。 |