PERU編[4]
平成16年8月24日〜8月27日
テーマ曲:Waldir Azevedo "Delicado"(5.2Mbytes)
ページ:[1][2][3][4] | PERU編 | 一発旅行 | サーバーホーム

Note 写真をクリックすると、中サイズ(800x600)の写真が見られます。

ナスカ(Nazca)

8月24日 ホネホネロック(1)・ナスカの地上絵・人生最悪の乗り物酔い

早朝6時頃、バスがナスカの町に到着。バス停付近に、地球の歩き方・Lonely Planetに記載されてあるホテルの客引きがいたので、そこのホテルをとることにした。そのホテルはツアーもやっており、ナスカの地上絵(Nazca Lines)と古代の墓地の観光を申し込んでおいた。最初に、墓地へと出発。

 ナスカの町から車で30分ほどで、古代の墓地跡(Cementerio de Chauchilla)に到着。天気は曇り。この後に予定している、セスナでの地上絵の遊覧飛行が気になった。
写真の拡大
 墓地をまわる。盗掘にあったため、ミイラや骸骨が散らばっている。見たくない人は、左の写真をクリックするべからず。あまりの骨の多さに、子供の頃「ひらけ!ポンキッキ」という番組で聞いた「ホネホネロック」という歌を口ずさんでしまいました。我々の世代は、骨を見ると「ホネホネロック」を歌い出したくなる世代のようで、ネット検索すると、チェコの墓地教会で「ホネホネロック」をシャウトした人もいました。
写真の拡大
 しばらくすると晴れてきた。晴れ男パワー全開。
写真の拡大
 墓地の後、ツアーに良くありがちな陶器屋訪問などをした後、ナスカの町の中心部にいったん戻る。ナスカの町は、ごく普通の町である。
写真の拡大
 昼食を食べて少し休んだ後、お待ちかねのナスカの地上絵見学へ出発。まずは、セスナによる遊覧飛行をするためにナスカ空港へ行く。すると、時間稼ぎの目的か、30分ぐらいのビデオを見せられた。我々も、周りにいた白人の観光客も、「ビデオはいいからさっさと乗りてぇ〜」といった表情をしていた。
写真の拡大
 ビデオが終わった後、建物の外で順番を待つ。ビデオが終わったらすぐ乗れるのかと思っていたら、またまた30分以上待たされた。その間、南米を一人旅している韓国人と英語で話をした。エクアドルでしばらく働いていたのだが、韓国に戻る前に南米をまわっているとのこと。早くキムチが食べたいとおっしゃっていました。久しぶりに見た東洋人とのことで、すごくフレンドリーでした。
写真の拡大
 ようやく我々の番がまわってきた。セスナは、パイロットを入れて6人乗りで、我々2人、オランダ人夫婦、カナダ人バックパッカー1人が搭乗しました。
写真の拡大
 飛行機が離陸しました。フィジーの水上飛行機と同様に、離陸ビデオ(MPEG形式、6.2Mbytes)を撮りました。離陸して、セスナが最初の旋回をした瞬間、いきなり「うっ」ときました。野比のび太が3秒で寝られるように、離陸して3秒で飛行機酔いになってしまった。
写真の拡大
 窓の外を見ると、地上絵が見えてきた。でも、このころすでにかなりやばい状態。血の気が引いて真っ青。
写真の拡大
 いくつもの線が放射状に発せられている丘の周りで、セスナが旋回し出した。この旋回で「撃沈」。用意されていたエチケット袋のお世話になり出す。当初の予定では、カメラのファインダーを覗いて、有名な地上絵をズームインで撮ろうと考えていたのだが、この状況ではどう考えても無理。仕方がないので、カメラのズームを最も広角側に合わせ、小さくてもとにかく地上絵が入るように、写真を撮ることにした。
写真の拡大

ここから、有名な地上絵が写っている写真を掲載致しますが、地上絵は非常に小さくしか写っておりません。したがって、「大」の写真(約2Mbytes)を実寸表示で見ることをおすすめします。ナローバンドの人、ごめんなさい。

 有名な「宇宙飛行士(Astronaut)」の地上絵が、丘の左側の斜面に写っています。ちなみに、ナスカ地上絵については、ここここ(いずれも英語)が詳しいです。
写真の拡大
 「猿(Monkey)」が、中央付近に写っています。でも、あまりにもわかりにくいので、切り抜いてエッジを強調したものを用意しました。この辺でオランダ人夫婦の夫の方も撃沈。
写真の拡大
 「クモ(Spider)」が、左端にある長方形の右側に写っています。えっ、本当に写っているのかって?本当ですってば!「ウォーリーを探せ」のノリで探して下さい。
写真の拡大
 「鳥(Bird)」が、右下付近に移っています。ペルーには、この絵をバスに描いているバス会社がありました。わかりにくいので、これにも切り抜いてエッジを強調したものを用意しました。
写真の拡大
 「ハチドリ(Hammingbird)」が、写真中央の右寄りに写っています。この地上絵が、日本では一番有名かもしれない。I井氏が撮影したものが非常に良く写っていたので、それを掲載しました。ちなみに、エチケット袋のお世話にはならなかったものの、I井氏も気持ち悪くなったそうです。この後、空港へ引き返す。
写真の拡大
 着陸直前、ナスカの町を眼下に望む。
写真の拡大
 ようやく着陸。地獄から解放された気持ちだった。今まで地球の各地で船酔いになっていたが、それらを遙かに上回る人生最悪の乗り物酔いだった。飛行機から降りた後、せっかくなのでパイロットと記念撮影。背が高くてハンサムなパイロットでした。
写真の拡大
 遊覧飛行の後は、地上絵を地上から観光する。まず、ナスカの地上絵の研究に一生を捧げたマリア・ライヘ(Maria Reiche)博士の博物館(実際に博士が住んでいた家)へ行く。 生涯の大半を、ナスカの地上絵の研究に捧げたそうです。学者の鑑というか、鬼ですね。
写真の拡大
この車に乗って、地上絵のフィールドワークをしていたそうです。
写真の拡大
 博物館には博士のお墓もあり、その周りの庭園は非常に良く整備されていました。ツアーのガイドの兄ちゃんも博士のことを熱く語っていたし、人々の博士への愛情が感じられた。
写真の拡大
 博物館の庭には、アルパカが放し飼いされていた。ここのアルパカは人なつっこく、正面からアタックできた。I井氏撮影の写真。この後、博物館を後にし、地上からの地上絵観察をしに行く。
写真の拡大
 まず、マリア・ライヘ博士が実際に使っていた地上絵の観測塔へ行く。
写真の拡大
 観測塔に登ると、ちょうど日が沈むところだった。眼下には「木(Tree)」の地上絵が見えます。なかなかの絶景。
写真の拡大
 ちなみに、このツアーで使っていたのは、この古いアメ車。アメ車もこのぐらい古い奴だと、なかなかクールです。I井氏撮影の写真。
写真の拡大
 最後に自然の丘に登って、地上絵を観察。
写真の拡大
 地上絵を見ながらのたそがれ。なかなか良かったです。この丘で、ツアーガイドの兄ちゃんが「技術レベルの高さから、宇宙人が地上絵を描いたという人もいるが、証拠は何もないけれど、我々の祖先が描いたものだと確信している」と熱く語っていたのが印象的だった。
写真の拡大
 ナスカの町に戻って、最後にガイドと一緒に記念撮影。真面目と不真面目な会話を織り交ぜて、なかなか良いガイドでした。夕食を食べた後、次の日のリマ行きのバスが早いので、さっさと寝てしまう。
写真の拡大

8月25日 ホネホネロック(2)・ブルジョワレストラン

 朝6時頃、リマ行きのバスが出発。バスは2階建てで一番前の眺めのよい席が空いていたのでそこに座る。途中、前日に地上絵を見た付近を通り過ぎる。さらば、ナスカよ。
写真の拡大
 途中、いくつかの町を通り過ぎて行く。ナスカからリマまでは約6時間の長旅です。
写真の拡大
 順調にバスは進み、リマの市内に入った。しかし、この写真の交差点のところで、いきなりエンストを起こして動かなくなってしまった。バスを降りてタクシーに乗って行ってしまった人もいたが、30分ぐらい待っていたら動き出した。ペルーで最も信頼できるOrmeno(オルメーニョ)社のバスでもこうなるとは。発展途上国では何が起こるかわからない。ある意味、それが面白いわけでもありますが。何とか無事にバスターミナルへたどり着き、そこからタクシーで市の中心部へ向かう。
写真の拡大

リマ(Lima)

 この次の日の早朝1時ぐらいのフライトで帰途につくので、リマ観光はたった半日です。外務省の情報では、ペルーの首都リマは結構危険だとのことなので、長居はしないという方針にしていたのです。
写真の拡大
 観光案内所に大きな荷物を置かせてもらった後、アルマス広場へ出る。リマのアルマス広場周辺も、世界遺産に登録されている。まずは、定石通りカテドラルへ行く。
写真の拡大
 カテドラルの内部。すごくリッチ。さすがに首都のカテドラル。
写真の拡大
 このカテドラルには、南米の征服者フランシスコ・ピサロの遺体が安置されています。このようなカテドラル内の見所を、英語を話すガイドと共に巡ったが、時々「さっき説明したことは覚えてる?」的な質問をされ、英語の試験を受けているようだった。
写真の拡大
 カテドラルの前には大統領府がある。ここで、フジモリ元大統領が仕事をしていたんですね。元大統領は、日本のどこに潜伏しているのやら。
写真の拡大
次は、サン・フランシスコ教会・修道院(Iglesia y Convento de San Francisco)へ。外見は美しいが、その地下には…
写真の拡大
 ホネホネロックでございます。
写真の拡大

たったこれだけですが一通りの観光を終え、空港へ行くまで何をしようかという話になった。とりあえず、トイレに行きたかったので、近くにあった高級ホテルに何食わぬ顔をして入った。さすがに何もしないのは怪しまれるので、ホテルのバーでピスコサワーというお酒を飲んだ。アルコール度が強く、2人ですっかりご機嫌になってしまった。その勢いで、地球の歩き方に載っていた高級海上レストラン「ラ・ロサ・ナウティカ(La Rosa Nautica)」へ行くことを決め、観光案内所で荷物を引き取った後、タクシーに乗った。

 レストランに到着。バックパッカー的な格好をした我々の行くところではなかったような気もちょっとした。今まで肉ばかり食べてきたので、海鮮料理を注文したが、非常に美味しかったです。一方、値段も非常に高く、2人で日本円に換算して八千円分ぐらい食べました(ペルーの物価から考えると数万円の価値だと思います)。
写真の拡大
 レストランを出た後、レストランに併設してあるブティックで、アルパカマフラー(1本USD$10)を2本購入した後、夜景を撮影する。なかなか良い。
写真の拡大
 レストランの桟橋から、リマの海岸の夜景を撮る。リマの海岸は断崖絶壁となっており、その上に高層ビルがたくさん建っている。ペルー第二の都市アレキパでさえ高層ビルが全くなかったことを考えると、この国の富がいかにリマに集中しているかがわかる。この後、ハイヤー(US$15)に乗って空港へ行く。
写真の拡大

8月26,27日 帰国

ホルヘ・チャベス空港に到着したのは、飛行機が出発する3時間近く前だった。かなり余裕があるので、空港でだらだらできると思いきや、(1)荷物のチェックインの前にやばいものを持っていないかの質問攻め、(2)チェックイン、(3)空港税の支払い、(4)第一回セキュリティチェック、(5)出国審査、(6)第二回セキュリティチェック、と数々の関門をくぐらなければならなかったため、搭乗までにほとんど余裕がなかった。酔っぱらいの一発朗は疲れ果ててしまった。そのため、空港では写真を全く撮らず、飛行機に乗り込んで爆睡してしまう。

 起きて気づいてみたら、帰りの経由地ダラス・フォートワース空港へ着陸間近だった。リマまで2回経由した往路と比較して、復路は1回経由だけなので楽ちん。着陸して米国の入国審査を受けた後、乗り継ぎ時間が1時間強しかないので、さっさと成田行きの乗り場へと向かう。
写真の拡大
 ダラス・フォートワース空港は、世界で唯一飛行機4機の同時着陸ができる、滑走路7本の大空港。鉄道だけでなく、飛行機マニアとしても目覚めつつある一発朗にとっては、一度見ておきたかった空港でございました。そして、定刻通り離陸する。
写真の拡大

 南米ペルーへの長旅が終わってしまった。日本から最も遠い大陸へ行けたし、マチュピチュ、ナスカ等の有名な遺跡を満喫できたし、リャマとアルパカを思う存分つっつくことができたので、とても満足です。しかも、この旅行一回で、日本国内と韓国であればどこにでも行けるだけのマイルが貯まってしまったので、南米はお得感が高かったです。いつかは、ブラジルへも行きたいと思っています。
 次の海外旅行は、大学院の用事で韓国、家族の用事でハワイへ行くことが決定しております。また、大学院生でいるうちに、まだ行っていないアフリカ・オーストラリア・南極のいずれかの大陸には行きたいと考えております。南極はたぶん無理だけど。
合衆国中西部上空

ペルー編のトップへ

一発旅行のトップへ

一発朗2004 Copyrights © 2004 N.Fujishiro, All rights reserved.
E-mail : ippaturo(at)nifty.com