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フエ空港に着いた後、バスにてホテルへ向かう。バスの中では、只今日本語勉強中のベトナム人の兄ちゃんとずっと喋っていて、写真を撮る暇がなかった。ホテルに到着後、すぐにレンタサイクルを借りて、外へ繰り出した。まず、フエ駅へ行き、次の日に乗る予定の列車のチケットを確保し、それから世界遺産の王宮へ向かった。 |
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我々が泊まっているホテルやフエ駅は新市街にあり、フォーン川という大きな川を渡って、向こう岸の旧市街へ行く。 |
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王宮の外堀にかかる橋を渡る。 |
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ここが王宮の入り口の午門。午門という名称は、中国の紫禁城の門にもつけられていました。フエの王宮は、中国の紫禁城のミニバージョンと思えばよいそうです。 |
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こちらは太和殿というところ。皇帝の即位式とかが行われる場所だったそうな。中は写真撮影禁止だった。 |
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太和殿の手前の池には鯉がたくさんいたが、我々が池の側に来ると近寄ってきて、グルグル回り出した。池の側には鯉の餌が売られており、それで餌付けられているようだ。でも、ケチなので餌はやらなかった。 |
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太和殿をすぎると原っぱが広がっていた。ほとんどの建物は、ベトナム戦争の時に焼け落ちてしまったらしい。 |
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ところどころに廃墟がある。修復するお金がないのかと、これを見たときは思った。帰国後に読売新聞の記事で知ったことだが、実は一部の建物は修復されているのだが、よく調べもせずに修復してしまったため、在りし日の姿と違ってしまっているらしい。それならば、廃墟の方がいいや。 |
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廃墟に引き続き、今度は畑が出現。人によっては「世界遺産の中に畑なんて!」と怒る人もいるかもしれないが、個人的には気に入った。庶民の臭いがする所って、好きです。 |
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しばらく歩くと、顕臨閣というところへやってきた。ここには、歴代の皇帝の名前を記した、9つ鼎(かなえ)が置かれている。この鼎、フエの王宮で一番面白かった。 |
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鼎には、様々な絵と、その絵が何であるかを示す単語が書かれている。この写真の鼎の場合は、「龍」とか「東海」など。 |
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ウケたのが、ある鼎には「蛤(はまぐり)」が描かれていたこと。蛤を選ぶとは、なかなかのセンスでございます。 |
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王宮見学の最後に、午門の上に登る。I川氏は、この門の上から天下に号令を下したいと、おっしゃられておりました。写真は、門の上にいた姉妹。絵的に良かったです。この後、ホテルに戻る。 |
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ホテルに帰り、フォーン川と夕日の写真を撮る。なかなか良い絵になった。この後、ホテルのプールで遊んだ後、飯を食べに行く。 |
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予約しておいたレストランで、宮廷音楽の生演奏を聴きながら飯を食う。演奏も飯も上手くてご満悦。 |
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ホテルに帰った後、ホテルの写真を撮ったりした。このころから、腹の調子が悪くなってきて、下痢が帰国まで続くことになる。最初は食あたりかと思ったのだが、帰国後の検査では、ストレスによるものと言われた。腹のせいでろくに眠れずに次の日を迎えることになる。 |
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タクシーがホイアンに到着して、まず目に入ったのが、いかにも社会主義的な看板。いいねー。 |
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次に目に入ったのが、タクシーの後ろからやってきた花が飾ってある車。一瞬パチンコ屋の宣伝かと思った。そんなものベトナムにないから、霊柩車だろうか。 |
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ホテルに荷物を置いてから、まずは次の日のミーソン遺跡のツアーの予約をした。その後、町の中を歩き始めた。最初に来たのが「福建会館」というところ。中国の福建省付近出身の華僑の集会所だったそうです。ホイアンは海のシルクロードの中継貿易都市だったところで、その古い町並みが世界遺産に指定されている。 |
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ホイアンには昔から続く旧家が残っており、写真はそのうちの一つ。提灯がいい感じ。 |
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写真は、日本人によって架けられたといわれる橋。江戸幕府が鎖国する前は、最盛期は1000人もの日本人が住んでいたそうな。 |
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橋の中には日本人観光客のことを意識してか、日本語で書かれた提灯があった。 |
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橋には物置小屋のような場所があり、そこには「フェフォ」とカタカナで書かれた提灯がひっそりと置かれていた。「フェフォ」ってなんだ? |
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古き良きホイアンの町並み。 |
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次は博物館へ行った。興味深かったのが、古代から中世までのものではなく、ベトナム戦争関係のもの。写真は、戦時中にホイアンにあった収容所から解放された人々の絵。この日の夜に入ったレストランの店主は、実際、この収容所に収容されたと言っており、アメリカ人をひどく嫌っておりました。また、SARSのために、日本人観光客が減って困っているとのこと。 |
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この日の観光で最後に入った寺。地元の人がお祈りをしていました。この後、体調が悪いため、ホテルでいったんグーグー寝る。 |
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夜再び起きて、アメリカ人嫌いの店主のレストランで飯食べた後、ホテルに帰る途中の路地で撮った写真。ノスタルジックで良い。ホテルに帰って、またグーグー寝る。 |
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