VietNam編[2]
平成15年10月24日〜10月25日
テーマ曲:BREAD "IF"(2.4Mbytes)
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10月24日 サイクリング・ミニ王宮・蛤

 朝ホテルをチェックアウトして、ハノイの町の中を少しブラブラと歩いた後、タクシーを捕まえてハノイ・ノイバイ空港へと向かう。
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 ノイバイ空港に到着し、フエ行きの飛行機に乗り込む。さらば、ハノイよ。
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フエ(HUE)

 フエ空港に着いた後、バスにてホテルへ向かう。バスの中では、只今日本語勉強中のベトナム人の兄ちゃんとずっと喋っていて、写真を撮る暇がなかった。ホテルに到着後、すぐにレンタサイクルを借りて、外へ繰り出した。まず、フエ駅へ行き、次の日に乗る予定の列車のチケットを確保し、それから世界遺産の王宮へ向かった。
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 我々が泊まっているホテルやフエ駅は新市街にあり、フォーン川という大きな川を渡って、向こう岸の旧市街へ行く。
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 王宮の外堀にかかる橋を渡る。
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 ここが王宮の入り口の午門。午門という名称は、中国の紫禁城の門にもつけられていました。フエの王宮は、中国の紫禁城のミニバージョンと思えばよいそうです。
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 こちらは太和殿というところ。皇帝の即位式とかが行われる場所だったそうな。中は写真撮影禁止だった。
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 太和殿の手前の池には鯉がたくさんいたが、我々が池の側に来ると近寄ってきて、グルグル回り出した。池の側には鯉の餌が売られており、それで餌付けられているようだ。でも、ケチなので餌はやらなかった。
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 太和殿をすぎると原っぱが広がっていた。ほとんどの建物は、ベトナム戦争の時に焼け落ちてしまったらしい。
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 ところどころに廃墟がある。修復するお金がないのかと、これを見たときは思った。帰国後に読売新聞の記事で知ったことだが、実は一部の建物は修復されているのだが、よく調べもせずに修復してしまったため、在りし日の姿と違ってしまっているらしい。それならば、廃墟の方がいいや。
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 廃墟に引き続き、今度は畑が出現。人によっては「世界遺産の中に畑なんて!」と怒る人もいるかもしれないが、個人的には気に入った。庶民の臭いがする所って、好きです。
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 しばらく歩くと、顕臨閣というところへやってきた。ここには、歴代の皇帝の名前を記した、9つ鼎(かなえ)が置かれている。この鼎、フエの王宮で一番面白かった。
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 鼎には、様々な絵と、その絵が何であるかを示す単語が書かれている。この写真の鼎の場合は、「龍」とか「東海」など。
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ウケたのが、ある鼎には「蛤(はまぐり)」が描かれていたこと。蛤を選ぶとは、なかなかのセンスでございます。
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 王宮見学の最後に、午門の上に登る。I川氏は、この門の上から天下に号令を下したいと、おっしゃられておりました。写真は、門の上にいた姉妹。絵的に良かったです。この後、ホテルに戻る。
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 ホテルに帰り、フォーン川と夕日の写真を撮る。なかなか良い絵になった。この後、ホテルのプールで遊んだ後、飯を食べに行く。
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 予約しておいたレストランで、宮廷音楽の生演奏を聴きながら飯を食う。演奏も飯も上手くてご満悦。
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 ホテルに帰った後、ホテルの写真を撮ったりした。このころから、腹の調子が悪くなってきて、下痢が帰国まで続くことになる。最初は食あたりかと思ったのだが、帰国後の検査では、ストレスによるものと言われた。腹のせいでろくに眠れずに次の日を迎えることになる。
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10月25日 窓が汚い列車・謎のちょうちん

 朝、ホテルからタクシーに乗り、フエ駅に行く。フエ駅から鉄道でダナンという町へ行き、そこからホイアンという町を目指す。
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 列車の中で撮った写真。電光掲示板などがあり、結構近代的。
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 フエからダナンまでは、ベトナムの鉄道でも最も景色がよいところだと聞いていたのだが、列車の窓が汚くて、良い写真が撮れなかった。残念。
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 ダナン駅に到着。ダナンは、ベトナム戦争時にアメリカ軍最大の基地があったことで有名で、我々の親の世代はこの町の名前をよく知っているようだ。この町にはとくに見所がないので、素通りでございます。
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 タクシーを捕まえて、ホイアンへ向かう。写真は、2000年にできたばかりだというソンハン橋を通過中に撮影したもの。約40分後、ホイアンに到着する。
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ホイアン(HOI AN)

 タクシーがホイアンに到着して、まず目に入ったのが、いかにも社会主義的な看板。いいねー。
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 次に目に入ったのが、タクシーの後ろからやってきた花が飾ってある車。一瞬パチンコ屋の宣伝かと思った。そんなものベトナムにないから、霊柩車だろうか。
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 ホテルに荷物を置いてから、まずは次の日のミーソン遺跡のツアーの予約をした。その後、町の中を歩き始めた。最初に来たのが「福建会館」というところ。中国の福建省付近出身の華僑の集会所だったそうです。ホイアンは海のシルクロードの中継貿易都市だったところで、その古い町並みが世界遺産に指定されている。
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 ホイアンには昔から続く旧家が残っており、写真はそのうちの一つ。提灯がいい感じ。
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 写真は、日本人によって架けられたといわれる橋。江戸幕府が鎖国する前は、最盛期は1000人もの日本人が住んでいたそうな。
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 橋の中には日本人観光客のことを意識してか、日本語で書かれた提灯があった。
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 橋には物置小屋のような場所があり、そこには「フェフォ」とカタカナで書かれた提灯がひっそりと置かれていた。「フェフォ」ってなんだ?
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 古き良きホイアンの町並み。
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 次は博物館へ行った。興味深かったのが、古代から中世までのものではなく、ベトナム戦争関係のもの。写真は、戦時中にホイアンにあった収容所から解放された人々の絵。この日の夜に入ったレストランの店主は、実際、この収容所に収容されたと言っており、アメリカ人をひどく嫌っておりました。また、SARSのために、日本人観光客が減って困っているとのこと。
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 この日の観光で最後に入った寺。地元の人がお祈りをしていました。この後、体調が悪いため、ホテルでいったんグーグー寝る。
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 夜再び起きて、アメリカ人嫌いの店主のレストランで飯食べた後、ホテルに帰る途中の路地で撮った写真。ノスタルジックで良い。ホテルに帰って、またグーグー寝る。
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