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朝、ミーソン遺跡のツアーの迎えが来るのを待つ。前の日は最悪だった体調は、良くなってきていた。約束の時間から30分ぐらい待っても迎えが来なくて、忘れられてしまったかと思った。結局、45分遅れぐらいで迎えが来て、出発。 |
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1時間ほどバスが走った後、ミーソン遺跡の入り口に到着。竹製の橋を渡ってゆく。いいねー。 |
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橋を渡ってすぐの所から車に乗り、遺跡の近くまで来た。一昔前の地球の歩き方には整備があまりされていないことが書いてあったが、写真の通り、世界遺産に指定されてからは気合いを入れて道の整備などをやっているご様子。 |
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さっさと遺跡の中を散策しようと思ったら、道の途中でツアーガイド(写真左下)の長い解説が始まった。ツアー客の大部分は白人だったが、我々を含め、明らかにみんなうんざりしている様子だった。写真は、解説中に隠し撮りしたもの。 |
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長い長い解説が終わった後、ようやく遺跡に到着。規模が小さい遺跡だが、結構いい感じ。ここの遺跡は、8世紀から13世紀に建てられたチャンパという王国のものだそうです。 |
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建物には、ヒンドゥー教の影響を受けた像が彫られている。なかなか良い。 |
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遺跡の中には川が流れている。今まで見たベトナムの川・湖・海はどこも汚かったが、川の上流では水はきれいなようだ。いったいどこで汚くなっているのやら。 |
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チャンパ王国で使われていた文字が掘られている石碑が立っていた。インディージョーンズのように解読してみたい。 |
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遺跡の外に出ると、一匹の犬が空き地の真ん中で暑そうにしていた。暑いなら日陰に行けばいいのに。 |
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遺跡の観光が終わった後は、川下りツアーに参加する。川の上から、庶民の暮らしが眺めて、なかなかよい。 |
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桟橋で子供達が遊んでいる。昔の日本も、このような光景があったのだろう。いいねー。 |
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川下りの途中で2回ほど上陸したのだが、2回目に上陸したところでは牛がいた。いいねー。 |
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ホイアンに戻ってきました。この日の20時のフライトでホーチミン市へ向かう予定で、それまで時間があったので、カフェでだらだらした。カフェにいたオランダ人と話したが、オランダでは鈴木光司氏原作の「リング」が流行っているとのこと。意外だ。 |
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いったんホテルに帰る途中で、フィジー旅行に引き続き、我が家で飼っている犬に似ている犬を発見。フィジーのやつよりよく似ている。この後、ホテルで日本語の練習をしたいという従業員と日本語でおしゃべりをしたり、飯を食べたりした後、タクシーでダナンの空港へ向かう。 |
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ダナンの空港に到着。タクシーに乗った頃から、I川氏の体の具合が悪くなってきていた。空港の椅子でごろんと横になっていたが、つらそうな様子だった。とりあえず、飛行機に乗ってホーチミン市へ向かう。 |
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ダナンからホーチミン市へ向かう飛行機の中で、I川氏の容態は悪化し、かなり苦しそうな様子になった。これはいかんと思い、ホーチミン市のホテルに着いて、海外旅行保険会社に連絡して医師の往診を頼んだ。医師に診断をしてもらうと、38.9度の熱、150を超える脈拍があり、さらに下痢もあるという、ひどい状態だった。すぐに病院へ連れて行くことになった。
病院で応急処置をしつつ、原因を調べるための検査を行ったところ、最初に疑われた部位には異常は見あたらなかったため、食あたりかもしれないと言われた。食あたりならば、熱と下痢を薬で抑えれば、この日の夜のフライトで予定通り日本に帰ってもよいと言われ、いったんホットする。I川氏の荷物はホテルに置きっぱなしだし、日本の家族へも連絡しなければならないので、いったんホテルへ一人で帰った。
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朝、ホテルをチェックアウトし、タクシーで再びI川氏のいる病院へ向かう。写真は、途中の道で見た光景。車やバイクの数がハノイの比ではない。カオスだ。病院についてI川氏に会うと、熱はだいぶ下がり、比較的落ち着いていた様子で安心した。この日のフライトは23時45分でそれまでかなり時間があったので、とりあえず土産物を物色するために、再び市の中心部へ行く。 |
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写真は、人民委員会の建物とホー・チ・ミン氏の像。ホーチミン市は、ハノイよりもずっと都会で、町並みもきれい。また、地球の歩き方を読むと、ホーチミン市が危険であるような情報ばかり書いてあったので、かなり身構えていたが、杞憂だった。平和です。また、事前の天気予報で雨を覚悟していたのだが、晴れだった。ここでも、晴れ男パワー炸裂。 |
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買い物を済ませ、腹が減ってきたので、地球の歩き方に載っていた「ロッテリア」へ行った。ベトナムの物価と比較して料金が高いためか、店内はガラガラだった。ちなみに今回のテーマ曲は、この店内で聴いた曲です。 |
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昼飯を食べた後、とりあえず主要な名所だけは見ておくことにした。写真は「サイゴン大聖堂」。近くで、この教会をバックに、ウェディングドレスの写真撮影が行われていた。 |
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写真奥は、統一会堂。ここは旧南ベトナムの大統領官邸で、1975年4月30日に解放軍が無血入城を果たし、ベトナム戦争が終了したとのこと。このあと、病院へ戻る。 |
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病院へ戻ると状況が変化しており、原因は食あたりではなく、旅行前から患っていたと考えられる、ある病気であることが判明していた。そして、この日のフライトに乗ることに対してドクターストップがかかった。何よりも命が大事なので、I川氏は入院して帰国を遅らせることにした。また、(1)僕の帰国延期費用は保険で下りない、(2)病院の日本人スタッフが帰国までI川氏の面倒をみると約束した、という理由で、I川氏との合意のもと、僕は一人先に日本に帰ることにした。最後に「家に帰るまでが海外旅行だからね」とI川氏に笑わせられた後、一人空港へ向かった。 |
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